ひまわりのように202003032020/03/03 02:00

ひまわりのように20200302

 長男の現場が今回のコロナウィルスのために休みになったが、すぐ再開となった。仙台でもウィルスの感染者が出たためでもあろう。現場が再開になってよかった。長男の通勤のための車のことが心配だ。今のところ親切にして頂いている車屋さんからお借りしている代車を通勤に使っているので、大丈夫のようだ。これから、その車屋さんに紹介してもらって一番相応しい車が与えられることを願っている。今日もそのことを妻と二人で祈った。

長男の車だけでなく、妻の軽自動車(エッセ)が古くなり、あちこちガタが来ているの。車検もま近に迫っている。修理か次の車かということも含め、次のことを早急に考えないといけない。

秋田のある車屋さんに私のシエンタの車検を先日初めてお願いした。車検を安くやってくれたのはいいが、帰ってきた車を点検したら、オイルがゼロになっていた。このままで数キロ走ったらシエンタはオーバーヒートして使えなくなっていただろう。宮城県栗原市のクリスチャンの加藤さんに(1月に突然心筋梗塞で亡くなった)昨年まではお願していた。彼だったらこんなことは絶対にしないだろう。彼に改めて感謝させられると同時に、車のことは業者に任せきりではいけないことをいやというほど思い知らされた。これから秋田で安心して任せられる車屋さんを探さないといけない。

長男は仙台市で公私両面で良く面倒見てくれる良い車屋さんに出会えて本当に良かったと思う。長男のような注意欠陥多動性障害を持ち、車=いのちという子にとって、色々な点で始動して下さる本当に良い車屋さんだと思う。




ひまわりのように202003112020/03/11 14:54

ひまわりのように20200311

(両親から借金して家を購入したことについてのメモ)

 

 1年半位昔にさかのぼるが、私は平成30年1月に妻の両親から多額の借金をした。私達夫婦は家を購入したいと思っていた。それが新築であれ、中古であれ、できるだけ早く購入の必要を感じていた。

2015年の春に秋田に住むようになってから借家の生活が続いていた。長男がすぐ家庭内暴力を起こし、仲介の不動産屋や大家さんから、(あるいは、間接的に近所の住人から)「借家を出て行って欲しい」と言われていたからである。持家を購入するためのお金のない私達は、「借家を立退いてほしい」と言われたら、次の借家を探すしかなかった。しかし、借家を探そうとして不動産屋に行っても、「あなたたち家族のように発達障害児がいて家庭内暴力を起こし、近所や大家さんに心配かけるような家族のために探してあげられるような家はありません」といつも言われてた。直接言われなくても、借家探しが難航するのはいつもそこだった。いくら私達家族をその家に置いて欲しいと頼んでも、不動産屋の返事は“No”だった。

そんなことが続き、私達は「どうせどこの借家に住んでも、『出て行け』と言われるんだったら、持家を探すしかないんだ」といつも妻と二人で話し合っていた。でも、先立つお金がないと家を購入することはできなかった。

私達はそのことでいつも悩んでいた。そんな中での出来事である。平成29年10月だったと思う。私達は秋田に来てから2度目に借家を出て行くように言われた。その時、妻は藁にもすがる思いで自分の両親に相談した。「こんな長男の暴力が続くようだったら、どこの借家に住んでもまた同じことが起きる。だから、やはりできるだけ早く持家を探さないといけない。でも、私たちにはそのためのお金がまったくない。夫の年齢ではローンを組もうにも組ましてくれる金融機関はないだろう。だから、お金を貸して欲しい。あとで少しづつ返すから」と話した。両親はOKして下さった。もし、貸してもらえなかったら、私達は次の借家に住み、また、長男の暴力のために家を追い出されていたことだろう。それは、平成30年の1月に下新城の現在の持家に引っ越してからも、長男の家庭内暴力が起きて警察のお世話になったり、近所の人たちから白い目で見られたことからも簡単に想像できる。この家が持家だったからこそ、隣近所の住人から「家庭内暴力を起こすお子さんがいるんだったら、ぶっそうだから早くここから出て行って欲しい」と言われなかったんだと思う。秋田市はそういう地域が多いし、この住宅地域(H団地)でもそう言われたのではないかと思う。

妻の両親の返事を聞いて、本当に私達が家族一同“路頭に迷わずに済んだ”ことを神様に感謝した。「この秋田で住むところが見つからないんだったら、前に住んでいたO市に帰ろう、そうすれば、長男にとっても昔住んでいた所だから、少しは落ち着き、家庭内暴力も減るだろう」と何回か思ったほどである。しかし、O市に戻らなくても済んだ。親から借りることができたのも、本当に神様の憐れみでしかなかった。

 妻の両親からお借りしたお金は、今少しづつ返せている。私も、もうとっくに現役として働く年ではないが、神様の憐れみで働かせて頂ける所も見つかった。(もちろん、私の年で次の職場を見つけるには履歴書を50通位書かないといけなかったが)。

 ただ、妻の弟や妹たちにしてみれば、私達家族が親から借金していることは心穏やかではないと思う。無理もないだろう。子育てに失敗して甥が問題児になって、親族に心配や迷惑をかけているばかりでなく(私達夫婦は、長男がこうなったのは発達障害のせいであり、引っ越しが多かったせいであり、私達親の子育てのせいではないと思っている)、老いた両親に無心するとは何事だと思われていることだろう。だからこそ、妻の兄弟姉妹たちと親との関係が壊れないためにも、また、私達夫婦と妻の兄弟姉妹たちとの関係が壊れないためにも、借金は返そうと心に決めた。そして、いままでの経緯を関係者に明らかにしておいてもらうためにもメモを残しておこうと思う。(田舎にある私自身の父親の田畑の名義変更の際に、血のつながった兄との関係が悪くなった例もあるので)。これから妻の両親の上に何がおこるかわからないから。また、実際のところ私達夫婦にもこれから先、何がおこるかわからないから。




ひまわりのように202003272020/03/27 13:09

今月(2月28日〜3月25日)の記録。

 

3月1日〜3月15日 いつもは毎日の生活費をまとめて4日から5日分

            送っているが、本人から要求の電話があり、この2週

           間はなぜか、いつもより2万円 余計に送っている。その

           度に、「節約しなさい」とすすめているが、たくさん使った

           のでおくってほしいしか言わない。それも、私に言われる

           と、小言をいわれるので、最近は妻に電話して要求して

           来る。

3月20日 腰が痛いので整形外科に行きたい。お金を送って欲しい。

 5,000円 送る(実際かかったのは2000)

(その後の電話では腰は良くなったようである)

       主治医の先生にこの間会ったら、長男のことを今回も褒めてお

       られた。

新しい会社で頑張って仕事をしているということを。親として私もうれしかった。今の会社がいつまで続くかわからないが、できるだけ長く続いて欲しいと心から祈っている。

 

 今の会社になってから私も長男との父子関係を良くしようとして、頻繁に電話してる。今年に入ってからも、できるだけ、メールだけでなく手紙も書いた。忙しくても書いている。今の会社(Y<建設会社>)ではちゃんと出勤しているようである。ただ、現場でどんな仕事をしているのかは聴いても教えてくれない。通勤時は知り合いの車屋さんから借りている車を使っている。

 

3月25日(今日) は今の会社に勤めてから初めての月給日。勤め始めてまだ1ヶ月半しかたっていない。本人も期待していると思う。少しでもたくさんもらえるといいと思う。建設業界は給料の支払いが2ヶ月後になる(日給月給制)。 だから、蓋を開けてみないといくらもらえるのか(入金されてるのか)わからない。今の所、出し入れは長男が自由にできる。

発達障害ゆえに本人は金銭管理はなかなかできない。しかし、最近は少しづつだができるようになっているのは神様のあわれみである。私も神様に感謝している。

1ヶ月189150円もかかるというのは今に始まったことではなく、少なくともこの4ヶ月間は続いている。だから、今までもそうだったが、これから特に栄喜の金銭管理をしないと、私たち家族の家計も火の車になる。

 

 おととい、健康保険のことで今の会社の社長にでんわしたら、「息子さんも社会保険に加入してもらっている」とのこと。私もほっとした。