長男の社会復帰202205042022/06/09 12:00

長男の社会復帰20220504

 

5月4日に川越に長男を迎えに行って来た。午前8:50ゲートが守衛が門を開けると、守衛に付き添われて長男が出てきた。長男が1年ぶりに社会復帰できるんだと思い、本当に感無量だった。車に乗せて、ガソリンスタンドに寄った後、ローソンのコンビニで長男の朝食を買い、すぐに関越道に乗った。間もなく、圏央道を経由し、東北自動車道に入り、途中のサービスエリアで何回か休憩した後、仙台に着いた。彼は、途中のサービスエリアで喫煙していた。車の中では喫煙しようとはしなかった。彼に取っては、喫煙することで、ホットするんだから、それを注意したら、彼の精神衛生上良くないと思い、黙って見て見ぬふりをしていた。3時ごろだったろうか。仙台のアパートに着いた。秋田から持ってきた荷物のほとんどをアパートに搬入したころ、会社の先輩が仕事が終わって手伝いに来てくれた。4日の夜はルームシェアすることになっているK.T.君と3人で近くの寿司屋さんに食べに行った。アパートに帰ると、長男は引っ越しの跡片付け後、友だちに長電話していた。1時間近く電話した後、その友だちに会いに行くために近くのアサヒドラッグまで出かけて行った。来たくしたのは3時間後くらいだろうか。私は長男が社会復帰したばかりなので、<また、昔の悪い友達でなければいいが、>と不安でしょうがなかった。

本人に誰に会ってきたのか聞くと、名前を教えてくれた。車の修理のことで相談に乗ってやってあげていたとのこと。

 私は4日は長男の部屋に止めてもらい、翌日の午後、出発して、秋田に帰った。これから、再び仙台で前に働いていたM会社で再び働くことになるが、まだ、完全に社会復帰しきれていないのに、1週間後から再び働き始める事に大きな不安を感じていたが。社長と本人が1週間後空働くことに了解しているのだから、私はただ、遠い秋田の地から見守るしかない。



20201205 19:532020/12/05 19:51

今日、長男に会った。

ひまわりのように202011012020/11/02 22:45

ひまわりのように20201101                                                

 長男の所まで行って来た。引っ越し後初めて新しいアパートに行った。始めは長男は私には会いたくない様子だった。メールからはその気持ちがありありと見られた。でも、彼女が長男と私の間を取り持ってくれたからだろうか。

結局、1時半に会うことになった。午前中礼拝に出席した、ちょうど、ヨハネの福音書のベテスダの池に38年間伏せっていた足の麻痺した男性がイエス・キリストによって癒された話だ。神様の恵みによってその男性は癒された。私はその説教を聞いてとても心が軽くなった。実は、長男がせっかく秋田から4時間かけて来た私に会ってくれるかどうか心配だったからだ。でも、長男と彼女との関係がとても心配だったから、是非二人にあって話を聴きたかった。説教を聞いて長男があってくれるという確信が与えられた。

 私が、車を近くの店の駐車場に止めて(前回のように怒った長男に車をボコボコにされるといけないので)、アパートまで行こうとして、横断歩道橋を渡っていると、下から車のホーンが何回も聞こえて来た。「こんなうるさい音を立てるなんて、車の運転手は一体何を考えているんだろうか」と思い、下を見ると、なんと長男の彼女が運転している車だった。助手席には長男がすわっている。私は思わず目が点になった。

 とにもかくにも合流した私と長男、それに長男の彼女の3人は近くの食堂に入って食事をした。長男は彼女ととても親しそうに、冗談を交えながら会話していた。私はその様子を見てホットした。二人の関係がとても気になっていたからだった。1時間ほど一緒に過ごした後、私はS市をあとにして、家路についた。会えないと思っていたにもかかわらず、会えて、一緒に食事ができたことを車を運転しながらであったが、神様に感謝した。

昼食を共にしていた時の長男の様子を思いだして、長男がとてもハイテンションだったことを思い出して不安になった。少し不安になった。復路は高清水のかつて長男が集っていたフリースクールに寄って帰った。

次の日、彼女にメールで聞いたが、 いつもあんな雰囲気で二人で過ごしているとのこと。ただ、長男は薬も飲んでないとのこと。とても心配になった。何とか、薬は飲んでほしい。主よ。どうぞ二人の生活を祝福して下さいと祈らされた。




ひまわりのように202009302020/09/30 16:40

ひまわりのように20200930

 

 長男の口座から1円も引き出せなくなった。なぜだかわからない。郵便局の職員に聞いたが、「もう1円も引き出せないようになってしまってます」とのこと。原因を聞いても教えてはくれない。いくら、事情を話しても、理解してもらえない。「それはお父さんと息子さんの問題だから」と一点張り。

 

 1017日 

 長男の彼女から電話があった。「息子さんの通帳口座に入金されている給料を引き出そうとしたが、私が番号を間違えてしまい、引き出せなくなってしまった」とのこと。同じ日の午後、妻が郵便局に行き、長男の口座からお金を引き出そうとして何回か試みたが、やはり引き出せなくなっていた。しかし、送金はできるとのことだった。

 

1020

 私が郵便局に行き、「なぜ、引き出せなくなったのか」を聞いてみたが、「息子さんが通帳の住所変更をされているようです。後は私たちのできることではありません。私たちはルールに従ってやって行く必要があるので、お父さんが引き出せるように手続きすることはできません。後はお父さんと息子さんとで話し合って下さい」とのこと。これ以上の子とは親である私たちには何もできないことを妻にもメールで伝える。何が長男の通帳に関して起きているのかわからない。

 

 1020日 午後

なぜかは分からないが、長男も自分の通帳から引き出せなくなっているとの事。何がおきているのかわからない。通帳が使えないと(私たちが送金したお金を長男が引き出せないと)、長男も困るだろうと思い、すぐに返してくれることを条件に本人に送ってあげた。

 

 1027

何回か長男に催促しているがまだ通帳は返してくれてない。長男には、この間の骨折時の治療費や入院費の領収書を写メで送るように言ったが、まだかえしてくれてない。

彼女からの話では骨折した右腕は順調に回復しているの事。医者の話によると長男の腕はわりとくっつくのが早いとのこと。

 




ひまわりのように202009292020/09/29 16:36

ひまわりのように20200929

 

 成年後見補助監督人のT氏にいつもの書類(栄喜の収支表)を送った。父親として、もっと他にやるべきことはないだろうかといろいろ考えた。今でも、とても残念に思っている。信仰者としてとても残念なことだ。今、私ができることは、いざとなったら私が責任を取らないといけないことだと思う。世の人は「誰もがやってることだから」と言って済ませることだと思う。世の人なら、「もう息子は20歳になってるのだから、自分のことは自分で責任を取るべきで、親は関係ない」言うかも知れない。でも、私はそれで済ませたくない。

 いくら、私が「悪い事はしなように」と小さい頃から教えて来ても、教会にも行かなくなり、学校もいじめで不登校になり、悪い友達とばかり、遊んでいるうちに悪いことばかりするようになって行った。今回も、悪い事の肩棒を担がせられているのに違いない。悪い友達に利用されているのだと思う。本人は悪い事の肩棒を担がせられているとは思っていないかも知れない。




ひまわりのように202009262020/09/26 16:46

ひまわりのように20200926

 

 妻が長男の主治医の所に長男の薬をもらいに行って来た。そのときにわかったことだが、

主治医の所に先日M県警から長男のことで照会の電話があったとのこと。「それで、これから、ご長男の病歴を書いてM県警に送らないといけません。どうやら、息子さんはこの間の免許証の件で県警に嘆願書を出しているようです。本当に迷惑な息子さんです。だから、私はお父さんに『もっと若いうちに少年院に送らないといけない』と何回も警告したではありませんか。もう、今となっては手遅れです。今回は、県警に対しては、息子さんは自分の意思で日常の判断ができるということを書いておきます」のこと。

本当に先生にはいつも迷惑をかけている息子だ。そして、主治医の忠告を聞かず、そのように息子を育ててしまったのは父親である私の責任でもある。妻の報告を聞いて、私もとても疲れてしまった。子育ての失敗だ。これからも、長男は何をするかわからないが、神さま発達障害の長男を失敗から守って下さいますように。そうでないと、私たち家族も倒れてしまいます。

 




たいようのように202009202020/09/21 15:20

たいようのように20200919

 

 次男の2学期の基礎学力調査(benesse)の結果をみせてもらった。国語と英語はかなりあがった。普通の私立の大学、あるいは一般企業への就職の可能性はかなりあがった。でも次男の得意なはずの数学は逆にさがってしまった。前回の成績と比べると3教科ではかなりあがっている。もし、今回の成績が前回より悪かったら、安心フィルターを再設定するつもりだったが、その必要はなくなったようだ。私も、ほっとした。このままの成績で高校生活を送ってほしいと思う。本当によかった。本人も相当努力したのではないかと思う。はたから見ていて、そんなに一生懸命勉強している風には見えなかったのだが、本人は私の目の届かないところで、一生懸命努力したんだと思う。神様感謝します。



ひまわりのように202009192020/09/19 18:00

ひまわりのように20200919

 

 長男の8万円の国民健康保険料の請求書が届いた。9月から来年j3月までの半年間に8万円払わないといけない。長男にメールで書いて送った。彼からは何の返事もない。「おやじ払ってくれないか」の一言もない。私も、「あなたも23歳なんだから、自分の国民健康保険料を払いなさい。もし、なければ、今回はお父さんが払ってあげるから、次回からは自分で払いなさい」ということくらい言った方が本人のためになると思いった。友人からも「23歳なんだから、自分の国民健康保険料くらい自分で払わせなさい」と言われた。確かにその通リである。ただ、長男は発達障害である。まず、今は国民が全員が加入しないといけないことになっているということがわからない。私は何回も教えたが、そんなことにはおかまいなしだ。わかったとしても、おやじが払ってくれるだろうから、自分が払わなくていいというくらいの安易な気持ちなんだろう。あるいは、自分が医者にかかった時は全額払えばいいんだろうくらいの意識しかないのだと思う。発達障害の子は自分が生きてゆくためには、保険料を払わないといけないということが良くわからない。会社に勤めていたら、厚生年金も含めてそのことも会社と相談して決めてゆく必要があるということもわからない。3つ目の会社なのにまだ、その辺のことがよくわかっていない。このまま、本人が自分で払わないといけないと思わない限り、家長である私が息子のために年間18万円払わないといけない。それだけではない。いつまで、本人が払わないといけない部屋代と駐車場代、計42000円をはらわないといけないのか。通信料、計9000円もいつまで親が払わないといけないのか。●●の3万円、市民税、県民税もいつまで私が払わないといけないのか。発達障害者はまず、そんなことは無理だろうから、私が払わない。しかし、本人が全く意識してないとすると、私たちが死んだ時、本人は一体どうやって生きてゆくのだろうか。しかも、給料もらっても、2、3週間で全部使い果たすようなことをしていたら、私たちが死んだら誰が長男の金銭管理をしてくれるのか。だから、やがて、近い将来、補助人を私以外の誰かにやってもらうしかない。借金の残り30万円近くを払わないといけないが、それを払ってゆくための金銭管理は一体だれがやってくれるのか。不安は尽きない。でも、神様が補助人としてふさわしい人を必ず立てて下さることを信じてゆこう。ただ、長男が非補助人になることを拒否したら、もうホームレスになるしかない。神さま、どうか長男が、自分が生きてゆくためには、金銭管理をしてくれる補助人が必要であることを認めることができますように。



ひまわりのように202009072020/09/09 14:19

ひまわりのように20200907

 

 長男の平成29年度の健康保険限度額適用認定証をの薬の布袋の中から見つけた。有効期限は平成29年5月だから、今は無視してもよいが、こんなものがあったとは知らなかった。私が広面ハウスにいた時、社会保険の扶養家族として長男が入っていた時のものではないかと思う。あの時は、長男の収入が120万円以下であったから、社会保険の扶養に入れたのだと思う。でも、長男の平成31年度(令和元年)の源泉徴収は140万円になっているから、私の社会保険の扶養にはなれないことがわかっている。令和2年度の収入は140万円以下だったはず。一刻舘に引っ越したばかりの時。1月無職、2月から6月20日頃まで大和建設、7月末から今に至るまで(株)枝松。もし、大和と枝松での源泉徴収か給料明細があれば、これから私の社会保険の扶養として認められる可能性もある。しかし、だいたい、大和と枝松での給与明細を出してもらっているものかどうかわからないし、出してもらっていたとしても、長男が保存しているかどうか不明。だから証明するものがない。枝松で働き始めてからの今年いっぱいの給料見込みを出してもらうこともできない。(もし出してもらえれば、長男の今年度の収入が120万円以下になることを証明することができ、私の社会保険の扶養にすることができる)そうしないと、私が家長として、私自身の健康保険料毎月7000円を払うだけでなく、長男の国民健康保険料を毎月7000円払うことになる。なんとか、両方の会社の給与証明を手に入れることはできないのだろうか。本当に祈らされる。



ひまわりのように202009062020/09/09 14:14

ひまわりのように20200906

 

長男から夜、突然電話があった。

 

 長男:「現場で使う電動工具が見つからない(バッテリーはあるが)。多分、家においてあると思うので今から取りに行く。探しておいて」。妻「あなたの電動工具は、前の会社の寮のあったマルセンビルからの引っ越しの時に、お父さんが全部家に一旦持ち帰り、今年1月に一刻館に移った時に全部持って行ってあげたはずだよ。マルセンビルに住んでいる時に、同僚に貸したままで返してもらっていないのかもしれないよ。お父さんもそう言っているよ。大体あの時、あなたはマルセンビルの部屋の中のものは全部いらないといっていたのだから。あなたの将来のことを考えて、お父さんがわざわざ、持って帰ってきたのだから。当然、電動工具のことなんかあなたの頭の中から消えていたと思うよ。ただ、お父さんが言うには、大崎のファミリーレストラン(マック?)の駐車場であなたに電動工具のバッテリーだけは渡したような気がするといっていたよ。でも、工具の本体はなかったように思うと言ってたよ」。私も、家の修理等のためにあちこち引っ掻き回したが、家のどこにも長男の電動工具を見なかったことを電話している妻の隣で話した。しかし、いくら話しても長男は「家においてあるはずだから、今から取りに行く」。私「まったく、話にならない。家にないことは99パーセント事実なのに」。

ASD(自閉症スペクトラム障害)の中のADHDを持った人にとっては思い立ったが吉日で、とても衝動的な行動を取ってしまうことがある。だいたい、99パーセントないものを求めて(新しいものを買えば1万円くらい)、S市から片道(下道)5時間かけて夜中に車を飛ばしてくるなんてことは考えられない。普通の人はそんなことはしないだろう。もし、お目当てのものが秋田市の家になかったら、ガソリン代と時間と労力が全く無駄になる。しかも、明日は出勤のはずなのに。まったく、衝動的な行動だ。ただ、発達障害者の長男を育ててきた私たちはわかるところでもある。前からとても衝動で行動する子だった。

 長男は、夜12時過ぎに来て、小1時間ほど探し回ったあげくあきらめて、友だちの運転する車でS市に帰って行った。妻が長男から聞いたところでは、車を運転していたのは女性だったとのこと。私は、「神さま帰りの運転が守られますように」と妻と二人で祈った。